わたしも、よく使う。
わざと使うときもある。
忙しい。
そんな時は、心が死んでる。
わざと使うときも、使った相手にたいして、
心がない時。
わたしは、海外出張やら、
日本での仕事が詰まっている時、
私の心に余裕はない。
空だって見上げる余裕すらなく、
食事も作業になってるだけ。
昔、バリバリのキャリアウーマンだった時は、
息をするのさえ、忘れそうになる時が多かった。
鬼のような形相で、
1分1秒、数字の事ばかり考えていた。
いかに、効率よく、無駄を省き、
マイナスが出ないよう、空気をよみ、
自分の感情は無視して、徹底的に合わせて、
実利を重視していた。
この世界も、大嫌いだった。
四面楚歌が、座右の銘だったくらい。
でも、最近自分の寿命や、インド占星術で、
やっと長いラーフ期を経て、
木星期になったからか、
"人生はいかに無駄に生きることがテーマ"
だとわかってきた。
そして、いかに、
ダメダメな不完全な自分の方が魅力的なのか、
わかった。
それは、自分じゃなくて、相手をみて、
実感した。
好きな人の完璧な所より、
ちっちゃな事でイライラしてたり、
悲しんだり、弱かったり、嫉妬深かったり、
そんな不完全さの方が、愛しくて、
人間らしくて、魅力的だと思ったから。
つまりは、私もそうなのだ。
いつも忙しくしている人は、
いつも、イライラしてる。笑
全てが流れ作業になっている。
日本語って、本当に凄いなぁって思う。
忙しいって、心を亡くすって書くよね。
日本人ってね、
本来は非常に心が豊かな民族だった。
だって、縄文時代なんて、
現代より遥かに遥かに長い、
約1万年以上続いていたのに、争いがなく、
平和と愛の、世界では稀有な民族だった。
虫の声も聞こえるのは、なんと世界で、
日本人とポリネシア人だけなのよ!
京都の鈴虫寺も、外人からしたら、騒音寺!
すごいでしょ。
わたしは外国の血だけど、
母国語が日本語だから、虫の声は心地よい。
だけど、それって当たり前じゃないのよ!!
ご飯を食べるときも、合掌して、
いただきます、って言うのも、
ご馳走様でした、って言うのも、
当たり前に言ってるけど、当たり前じゃない。
当たり前で言うたら、
それこそ、心の臓なんて、
嵐の時も、雨の時も、失恋した時も、
歓喜の時も、どんな時だって、
とまらず動いてくれる。
それも、当たり前じゃない。
心を失くして生きていると、
当たり前に気付けなくなっていく。
心と体は一緒なので、心が死ぬと体も死ぬ。
しんでもーたら、
何のために、忙しくしてるんや!!!
って、本末転倒になるよね。
だから、一日にうちに10分、
いや5分でいいから、
"いまココにある感覚"を味わう必要がある。
私が最近はじめた、瞑想ですね。
イマココを味わうためには、
体にフォーカスするんです。
意識は、過去や未来に行きますが、
体はいつも、今を生きてる。
心臓が1時間後から動き出すとか、ないから。
息が未来にいくこともない。
だから、身体に注意を向けること、
イコール、
"イマココ"にいる感覚を味わう事ができる。
空を見上げる余裕、
ゆっくり丁寧に自分の心や体を見つめる余裕、
そんな余裕を持ち続けて、
自分を大好きになって、
本当の意味で、自分だけの為に生きれたら、
その次は、誰かの為に生きたくなるだろうな。
溢れすぎた愛は、誰かにあげたくなるもんな。
もってても、溢れたら勿体無いからな。笑
あげたい人に、あげたくなるわな。
でも、まずは自分。
みなさま、あと残り2025年の夏まで、
あと2年半。
この時を境に、ガラッと地球は変わります。
これまでの、紙幣や、権力なんかは、
本当に意味のないものに変わります。
それしかない人間は、淘汰されます。
これからは、愛がたくさんある人。
和を以て、
自分も他人もそれぞれの個性を認め合える人。
そんな人たちだけが、生き残れます。
世界で先導に立つのは、もちろん、
縄文のDNAをもつ、日本人。
私は、そのDNAを持っていないから、
余計に悔しい。
本来の、和を重んじて、
生きとし生けるもの全てを大事にし、
女性を大切にし、
心に余裕がある、
そんな本来の日本人を思い出して欲しいと、
願ってやみません。
どうか、心を、亡くさないでね。